Paris Music Tour

パリの音楽について書いていきます。

オペラ座 (Palais Garnier)

1875年1月5日に開園したオペラ座。その風貌、風格はミラノのスカラ座やウィーンの国立劇場よりも立派にみえます。そんなパリのオペラ座についての記事です。

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ナポレオン3世の統治下、*パリ改造の一環として建てられたオペラ座、その他の文化施設ではルーブル美術館なども建てられました。

*パリ改造とはジョルジュ・オスマンによって1853年に提案された都市整備事業。パリの衛生環境、風通し、日光問題や文化事業などを改善するために始められた。

1860年に行われた設計コンクール、171人の参加者の中からローマ賞を受賞したシャルル・ガルニエ (当時37歳)によってオペラ座は設計されました。1862年7月21日に建設が始まりその14年後に完成しました。

古代様式を避けたナポレオン3世式の建物は総工費3560万フランも掛けられました。当時の1フランが約1000円だとすると356億円掛けられたことになります。ちなみに東京ドームの総工費が約350億円です。

建設中のオペラ公演はサ・ル・ペルティエで行われたが1873年10月29日の火災で全焼してしまったためその後はサレ・ヴァンタウドールで公演されました。しかしサレ・ヴァンタウドールも負債のために立ち退きを強いられたためオペラ座の建設は早急に行われました。

1875年のプレミア公演では当時のフランス大統領マクマオンを始めスペイン王室のアルフォンス夫妻やロンドン市長、ハノーヴァー元国王なども同席しました。オペラからはユダヤ人、ポルチシの唖娘、ウィリアムテルからの抜粋。バレエからはラ・ルイスが公演されたそうです。ちなみに設計者のガルニエは1200フラン(12万円)を自腹で支払って3階席に座っていたそうです。

建設されたもののオペラ座は身近なものではなく1871年に蜂起したパリコミューンで貴族の肩身が狭くなりオペラ座は赤字続きでした。しかし1973年に任命されたロルフ・リバーマン総監督に行われたオペラ公演、オッフェンバックの「ホフマン物語」グノーの「ファウスト」によりオペラ座は再び返り咲くことになりました。

舞台裏は電化されたもののいまだに旧式なので1つの舞台を建てるのにも崩すにも時間がかかるそうです。そのため月に1〜2本のオペラをバレエと挟んで公演しています。

幅125m・奥行き172m・高さ82m (ノートルダム大聖堂の高さが62m)の外観は圧巻で1度見たら忘れられません。Salle (ホール)ではなく Palais (宮殿)と呼ばれている理由がわかります。舞台は幅26m・奥行き52m・高さ60mと広く500人以上が同時に舞台に立てるそうです。舞台を見るには公演のチケットを買う必要がありますがそれ以外なら中に入って見学することも可能です。チケットは日本語の代行サイトからオンラインで購入できるので公演を観たい方は事前に調べていきましょう。

豆知識1- サル・ル・ペルティエ公演時代にナポレオン3世が爆弾を投げつけられた事件があり、そのためオペラ座にはナポレオン3世のためだけの入り口が設けられました。今はオペラ座博物館+図書館となっています。

豆知識2- オペラ座の屋上は養蜂場となっていてそこで取れた蜂蜜をオペラ座で買うことが出来ます。ぜひ!

 

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