オッフェンバック、最後の住居
パリの銀座通りとも言われる Boulevard des Capucine。映画館やカフェが並ぶ賑やかな通りです。その Boulevard des Capucin 8番地 4階 にオペレッタの父とも呼ばれるジャック・オッフェンバック (1819-1880) が57歳から彼の亡くなる61歳までの4年間住んでいました。今ではショッピングモールになっていてその中の LANCEL というブランドが目印になります。この記事ではオッフェンバックの晩年、この家に住んでからを紹介します。
「天国と地獄」第3部序曲 は特に有名で誰でも運動会などで1度は聴いたことがあるあの曲もオッフェンバックによって作曲されました。ベルリオーズも賞賛したと言われる彼の色彩的な管弦楽法や綺麗なメロディーは誰が聴いても圧倒されるはずです。
フレンチ・カンカンでも有名ですね!あと3時のおやつも!
そんな彼も波乱万丈の人生、この家に住むまでに様々な災難に見舞われました。
1873年からは Théâtre de la Gaîté の経営を始め、彼自身のオペレッタも公演されていましたが1874年に多額の借金のためにその職を降りています。その後、借金返済のためにアメリカに出稼ぎに行きます。1876年にこの家に住んでからは2つのオペレッタ、「マダム・ファヴァール」(1876) や「鼓手長の娘」(1880) を書き上げました。彼の最高傑作とも呼ばれる「ホフマン物語」は完成せずに 1880年10月5日朝4時にオッフェンバックは亡くなっています。ほとんど書き終わっていたこの作品はその後弟子のギローが6ヶ月かけて完成させたそうです。「ホフマン物語」は 1881年2月10日にオペラ・コミック座で初公演されました。
オペラ座の記事で書いたようにこの「ホフマン物語」は経営難の続いたオペラ座を1974年、パトリス・シェロー の演出により再び栄光を取り戻すことができました。
今でもオペラ界の重要なレパートリーとなっている「ホフマン物語」、ぜひ1度聞いてみてください!!