Paris Music Tour

パリの音楽について書いていきます。

オテル・デピネイ跡 モーツァルト編

Rue de la chaussée d'Antin 5番地、ロッシーニ、グレトリー晩年の家からほぼ真ん前にモーツァルトとショパンがかつて滞在していたホテルがありました。

 ロッシーニの記事はこちらから↓
今では Rue Meyerbeer 開通のため破壊されてしまいましたがその跡は今でも見ることができます。他とは違った美しい黒い前扉が特徴的です。

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この記事ではモーツァルトがこのホテルに滞在するまでとパリを去るまでを紹介していきます!

 モーツァルト最初のパリ滞在は1764年~1766年に。彼が12歳~14歳の時です。その後は故郷のザルツブルグに帰ります。その後はイタリアへ3度旅行をしていますがパリには寄らなかったようです。1777年に就活のためにマンハイムへ渡りますが失敗し、その後に職を求めて1778年、11年ぶりにパリへ渡ります。ちなみにマンハイムではモーツアルトの奥さんとなるコンスタンツェ・ウィーバーの姉アロイジアに出会い、恋をしています。この話は別の記事で...

1778年3月10日、最初のパリ滞在では Rue du Bourg l'Abbe 1番地 の古着屋メイエの家へ、その後は Rue Saint-Denis 2番地 のホテルへ。しかし同年7月4日に母を亡くし、葬儀の後にこのオテル・デピネイで暮らし始めます。

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モーツァルトがこのホテルを選んだ理由は1766年にモーツァルトを取り上げた「文芸通信」の創刊者グリム男爵が彼と親しいホテルオーナーのエピネイ夫人に紹介したことからだそうです。

職を探すモーツァルトですが11年振りのパリ、人々は彼を忘れグルックのオペラに夢中に... グルックはオペラをわかりやすくシンプルにした現代的オペラを完成させた人です。

1778年4月、モーツァルトはオペラ座バレエ振付師のノヴェールに会い、曲を依頼されましたが少しのパートのみで6月22日のプレミア公演では彼の名前が出ませんでした。

その後ノヴェールからは依頼は来ませんでした。

その他にも Le Concert Spirituel に地位を得ようと監督ル・グロと話し交響曲作曲しましたが演奏されませんでした。

次はフランス的なゆったりと甘美的な曲を作ろうと (K297) を作曲し大成功!

ちなみに (K. Anh.8) も作曲しましたが彼がパリを去った後の1778年9月8日に演奏されました。


W. A. Mozart - KV 311a (C11.05) - Overture in B flat major

フランス語でオペラを作りたかったが1778年7月9日の手紙にフランス語を扱うのが難しく作れないと書いています。

フランス語の曲を2編作曲しましたが韻律が合わず後で変奏曲にしています。

パリでは他にソナタなども作曲しています。

レッスンもしていましたが稼げなくてやめています。その時に教えていたド・ギヌ侯爵の娘のために (K299) も作曲しています。

ちなみにパリでは14年振りにヨハン・クリスチャン・バッハと再会しています!

その後ヴェルサイユにオルガニストとして地位を得るが当時付き合っていたアロイジアのために断念し、1778年9月6日にマンハイムに戻ります。

その後1782年にパリに訪れる予定だったらしいですが実現せず、これがモーツァルトにとって最後のパリとなりました。

 

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