オテル・デピネイ跡 ショパン編
モーツァルトの滞在から約90年後、Rue de la chaussée d'Antin 5番地 のオテル・デピネイには1833年~1836年間までピアノの詩人と呼ばれたあのフレデリック・ショパンが住んでいました!
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彼の部屋にはとても凝った家具があったらしく周りからは Olympe (オリンポスの山) と呼ばれていました。
それとプラスで馬車と御者、そして1人の召使。服装は Rue Vivienne の洋服屋で仕立てたグレイ、薄紫または青のフリックコートに麻のシャツ。3巻きもするネクタイに白手袋をはめて、エナメルの長靴に黒の袖なしマント。最後に香水をつけて貴族のピアノレッスンに向かいます。
これも必要経費であり、レッスン先の母姉妹に迎えてもらうためには相応しい格好をしていかなければなりません。1回のレッスンには20フラン以上、今でいうと2万円程だったらしいです‼‼ さすがショパン!
1834年の冬からはパリ中でコンサート尽くしでした!
12月にはベルリオーズの指揮でピアノ協奏曲第1番アンダンテ
クリスマスではリストと一緒に慈善音楽会を!
1835年2月では Salle Érard にて
3月には Salle Pleyel にて
4月には Théâtre italien de Paris そして Conservatoire にて!
しかしこれを機にその後6年間は表舞台には立たず、作曲のみに専念しています。
そして1835年はショパンにとっては別れの年でもあります...
6月には当時の恋人のポトッカ夫人と破局。6月3日から3週間チェコのカルロヴィ・ヴァリで両親と過ごしますがこれが最後の別れとなりました。
帰りにドレスデンでヴォジンスキー伯爵を訪れ彼の次女マリアと出会い、結婚まで考えていましたが後に破局しています...
冬にはベッリーニのオペラ「ノルマ」を見て感動し、親しくなるが次の年にベッリーニは亡くなっています。
ショパンが表舞台に立たなくなったこともうなずける年です。
ちなみに1835年には「12の練習曲 op.25」 の作曲をほぼ終わらせています。