Paris Music Tour

パリの音楽について書いていきます。

ロマン派: ドイツ「なんかフランスが革命起こしたし俺らもなんかできんじゃね?」

ロマン派音楽の歴史をまとめました。

1800から1900年にヨーロッパで作られた音楽をロマン派音楽と呼んでいます。

ロマン派音楽は英語ではロマンティックミュージックと呼ばれていますが別にドレスやスーツに身を包んでお洒落なレストランでロウソクの火に照らされた料理を食べながら愛する人に「今日も素敵だよ」なんて言ってる時に流れてる曲ではありません。

ロマン派音楽とはフランス革命をきっかけに嫉妬した他の国々が愛国心を高めるための音楽です。

 

当時ドイツという国が無かった頃、フランス革命を目の当たりにしたドイツ語を喋り、読み、書き、同じ音楽や本に触れ合っていた人たちが「僕らも国になりたい」という思いをロマン派音楽にぶつけたのがはじまりです。

幸運なことにドイツは音楽の資料に恵まれ、バッハモーツァルトベートーベンなどのレガシーを力に自分たちの音楽を作り上げていきました。

ドイツでは18歳から曲を作り始め600曲以上全てドイツ語の歌を作曲したシューベルトを始まりとしてドイツ語オペラを成功に導いたウェーバーやピアノ音楽を完成させたメンデルスゾーンリストシューマン。後期ロマン派では芸術性を追求して音楽に新しい意味をもたらしたワグナーや逆に昔ながらの音楽を大切にしたブラームスなどが活躍しました。ロマン派音楽はドイツ語圏内中心に発展していきました。

しかし愛国心はドイツだけで育まれていたわけではありません。イタリアでも同じように彼らの得意分野オペラで対抗しました。ロッシーニを始めにドニゼッティベリーニが新しい歌い方ベルカントで人々を魅了しました。後期ではオペラ作曲家ベルディ(Verdi)の名前がたまたま流行語 "Viva (V)ittorio (E)manuele (R)e (D'I)talia" (イタリアの王ヴィットーリオ・エマヌエーレ万歳)の頭文字と一致していたため国民たちは "Viva! Verdi!" (ベルディ万歳)と叫びながら通りを歩いたそうな。

そんなことしてたら周りの国も黙ってない!ポーランド出身のショパンノルウェー出身のグレイグボヘミア出身のドボルザークヴォルフスメタナマーラーなんかがフランスに上京して自分たちの舞踊曲なんかを作曲して愛国者アピールしていました。

パリでは優れた作曲家がぞろぞろ集まってきて1830年代にはフランスオペラを商業的に成功させたマイアベーアや楽器経験ほぼゼロから交響曲を書き上げたベルリオーズ、一夜でベートーベンの生涯収入を稼いだパガニーニの他にショパンリストシューマンメンデルスゾーンなどが同時期にパリにいたそうです。

タイムマシーンができたらどこに行く?なんて聞かれたら「1830年代のパリに行く!」と即答しましょう。

一方ロシアではバレエ音楽で有名なチャイコフスキーや新しい音楽の開発に勤しむムゾルグスキーが活躍していました。

 

以上!!

 

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